2014年09月17日

静岡県の学力問題について

静岡県の学力問題について

1 公表について

9月4日、県のHPに全国学力テストの小学校の4科目の県内市町の平均正答率と、国語Aの平均点以上だった校長名262人があいうえお順にずらっと公表されました。
昨年来、県内の各学校でテスト対策、授業改善に力を入れて行った結果、今年度は大幅な改善が見られて安堵していたところではありますが、校長名の公表は的外れと言わざるを得ません。例えば今年度4月に赴任してきた校長はテストを実施するまでのたった2週間で成果を出したというのでしょうか。教員の間では人事異動の運が良かったとしか認識していません。学校はあくまでもチームプレー、教職員全体での連携した成果です。「子どもの学力は教師の責任」という理由での校長名公表でありますが、一人の先生の力だけでなんとかなるものではありません。地域や家庭環境などが大きくかかわってきます。校長にしても学級担任にしても名前が挙がって褒められるために日々指導しているのではありません。
また、公表に関しては市町村の同意を得るという文科省の実施要項に違反することを承知で、公表しています。平均正答率等を一覧表にすることも認められていません。「昨年度、規則を無視しても公表したことにより今年の成果が出た。」かもしれませんが、成果を出すためには規則を守らなくてもいいのでしょうか。第一に子どもたちに対して規範意識を育てようとしているときに、知事が率先して規則破りをしていることは示しがつきません。市町の教育委員会が慎重に公表の方法を検討していることを飛び越えてしまったことも県として示しがつきません。
学力テスト実施要領の中に知事が公表してはならないという文言はないかもしれません。それは、そもそも知事が介入してくるという前提はないからです。教育委員会あてに作成している規則なので知事の権限は及ばないはずです。
昨年度の6年生(現在の中学1年生)は、全国最下位と騒がれて、「自分たちはダメな学年なんだ。」と劣等感を抱いてしまっていることが心配です。そして、今年の6年生が挽回したとなるとますます立場が悪くなります。子どもたちの自信を失わせる結果となったのでは意味ありません。


2  平均点というもの

数字で表されるのはあくまでも平均点です。平均点とは周知のとおり全員を対象としています。特別支援を必要とする子、外国籍の子どもがクラスにいれば当然平均点は下がります。今、「共生」の教育の理念の下、障害のある子もない子も、国籍が違っても地域で助け合いながら学ぼうということに重点が置かれています。義務教育は地域のどんな子もすべて受け入れる場です。塾や高校とは違うのです。すべての子に等しい学力を身に着けさせるという理想に向かって日々奮闘しているのです。保健室登校の子にも「名前だけでも書いてごらん。」「できるところだけでいいから答えてごらん。参加することに意義があるんだよ。」と認め励ましています。「平均点」ばかり重視すると子どもたちの間にも「あの子はできない子、平均点を下げる子」という暗黙の差別が起こりいじめにつながりかねません。
現に特別支援を必要とする子どもの保護者から、「これからこの学校に置いてもらえるか心配。」という声や外国籍の子どもも「テストできなかった。」と心配している声が届いています。
教室では、一人ひとりの伸びを認め合っています。できないことががんばってできるようになったことが大事なのです。はじめから90点を取る実力がある子が95点をとることよりも、これまで20点だった子が30点になったことのほうが価値あるのかもしれません。平均ではなくてあくまでも「個」なのです。


3 本当の学力と生きる力


「教室は間違うところだ。」

学級目標として教室の前面に掲げてあるクラスがあります。
「えっ、間違えちゃ困る、ちゃんと正答を覚えるところが教室じゃないか。」と思われる方も多いでしょう。
しかし、静岡県の教職員には全く違和感がない目標です。教員は絶えず子どもたちに
「間違ってもいいんだよ、思い切って自分の考えを言ってごらん。」
「間違ったことを言った子を笑ったりしたらいけないよ。間違った意見があるからでみんなが考えてしっかり覚えることができるんだよ。」と語りかけています。
「学び方を学ぶ」ことが、義務教育を通じてつけたい力です。答えは一つでもたくさんの違った考え方があること、その考え方の筋道を表現しあい共有しあうことに集団学習のだいご味があります。
実験を通して、また理科園や畑で体験活動を通して子どもたちは気づき学びを広げていきます。そんなときの子どもたちは生き生きと目を輝かせて新しいことを発見し知識を積み重ねていく楽しさを体感するのです。
苦手なことや難しいことにも意欲を持ってチャレンジしようとする心、できなくても先生や友だちに励まされて頑張って克服していく態度、義務教育は人生の基礎を作る場です。

大人のみなさん、現在は厳しい競争社会に身を費やし勝ち抜くことが大事なことはわかります。
しかし、そんなみなさんも小学生の時のことを思い出してみてください。先生に怒られたこと、褒められたこと、友だちと遊んだことなどなど、どんなことが思い出されますか?
今社会で頑張れている基礎は、義務教育の時に先生から
「00ちゃんはやればできるじゃん。」「00ちゃんは絵がうまいね。いいとこあるね。」「すごいすごい、がんばったね。」
などと励まされ認められたから今があるのではないですか?
また、もしかしたら悪いことをした自分を泣いてしまうほど厳しく叱ってくれた経験かもしれません。
とにかく、義務教育は競争至上主義ではないことだけは確かです。


4 小学校国語Aの持つ意味

昨年の「全国学力・学習状況調査」で、小学校国語A問題が全国47位、最下位という結果に全県民が衝撃を受けました。しかしそれが、「静岡県の子どもの学力は全国最下位」というように過大解釈されたように思います。さらに「静岡県の学力は危機的状況。」「静岡県の授業は最低。」などという発言まで飛び出しました。
よく考えてみてください。義務教育9か年あるうちの、小学校6年生。そして国語Aと国語B、算数Aと算数Bがある中で、国語Aだけが最下位だったわけです。それが、「静岡県のすべての学力」のようになってしまいました。
同じ年に実施した中学校3年生は総合得点では全国6位です。これが評価されないで小学校の国語A最下位だけが大きく独り歩きしてしまいました。
それからというもの、新聞では「静岡県の学力」という特集が一年を通じて組まれ全県民が危機感をあおられました。使っている副教材が悪いからだという指摘も出ました。県議会本会議でも文教常任委員会でも質問の中心的話題になりつづけました。
しかし、またよく考えてみると、それほど県民こぞって県政こぞって問題視する重大な課題だっだのでしょうか?
静岡県の人口流出、北海道に続き全国ワースト2、企業立地数毎年減少などもっと重大な課題はあると思うのですが。
確かに騒いでくれたおかげで授業の見直しやテスト対策が進み、今年の結果は大幅に向上しました。
しかし、学校のことは学校を信用して任せてくれればなんとかします。


5 今後のありかた
 
全国学力調査の実施には60億円もの予算が使われています。日本全国、地域の学力を調査する目的のためなら、全校実施する必要はなく抽出方式で5%ほどのデータを採取すれば十分なはずです。
また、静岡県では国から結果が返ってくる前に、各学校で教師が採点をしておよその結果をつかんでいます。つまり、国ではベネッセなど外部委託して採点分析をし、県内すべての学校でも全員の分の解答用紙をコピーしてから採点し分析をするという二重の手間をかけているのです。結果を早くつかんで対応し指導するためということですが果たしてそれだけの費用対効果があるのか疑問です。
「私は、静岡の教育を受けて育った。」と県民が胸を張って語ることができるように、また教職員も「静岡の教育は真の教育だ。」と自信を持って教壇に立つようにしていかなければなりません。現に、全国の教育研究集会では、静岡県の実践発表は質が高い上に絶えず新しい取り組みを続けていることで高い評価を受けています。
全国テストの問題傾向が今の日本につけたい力であることは確かなので、授業改善に取り入れていくことは必要です。しかし、これまでに述べたように点数主義、競争主義に陥ることなく、目の前の子どもたちに「学ぶ力」をつけさせるという大事な目標に向かって心を一つにしていくことが何より大事です。
  

Posted by 佐野 愛子 at 18:10議会活動